山梨県甲斐市下今井。
天正十年(1582)3月2日、高遠城が落城の際、武田勝頼一行は完成したばかりの新府韮崎城に 自ら火を放ち、岩殿城に向けて落ちのびて行った。勝頼夫人はこの地で、燃える新府城を振り返り涙を流したという言い伝えがある。
2009年9月20日日曜日
甲斐市「光照寺薬師堂」
2009年9月19日土曜日
2009年9月18日金曜日
2009年9月17日木曜日
梁川町「小松神社」
山梨県大月市梁川町綱之上1342。
平安時代末期に病死した平清盛の長男、平重盛(1138〜1179)は大阪で葬られたが、間もなく平家が壇ノ浦で滅び、大阪は源氏に占領された。そのため文治2年(1186)平貞能が削髪し、摂津から尊骨を運び、原部落の険しい岩山の頂上に改葬した。ここを村人は御在所と呼んだ。文永10年(1273)12月御在所から現在の小松神社の地に尊骨を移した。小松神社建設の際、平重盛公の抗刀一振を平朝臣景家が奉納したという。昔、村内の者がこの刀を盗み出し、鞘と鍔は売り払われたが、刀は小仏峠の茶屋に置き去りになった。現在その刀身が祀られている。下原の大火(100年前)で鳥居が焼け、明治29年に再建された。
平安時代末期に病死した平清盛の長男、平重盛(1138〜1179)は大阪で葬られたが、間もなく平家が壇ノ浦で滅び、大阪は源氏に占領された。そのため文治2年(1186)平貞能が削髪し、摂津から尊骨を運び、原部落の険しい岩山の頂上に改葬した。ここを村人は御在所と呼んだ。文永10年(1273)12月御在所から現在の小松神社の地に尊骨を移した。小松神社建設の際、平重盛公の抗刀一振を平朝臣景家が奉納したという。昔、村内の者がこの刀を盗み出し、鞘と鍔は売り払われたが、刀は小仏峠の茶屋に置き去りになった。現在その刀身が祀られている。下原の大火(100年前)で鳥居が焼け、明治29年に再建された。
2009年9月16日水曜日
2009年9月15日火曜日
甲州市「やまと天目山温泉」
2009年9月11日金曜日
上野原市「牛倉神社」
2009年9月10日木曜日
上野原市「上野原美術館」
2009年9月9日水曜日
福生市「武蔵野台図書館」
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