2009年9月8日火曜日

福生市「横田基地」

日本では64年たっても、米軍は、都市にしっかり巨大基地を確保している。

2009年9月7日月曜日

福生市「福生不動尊」

東京都福生市大字福生2143-1。
福生市は、福生不動尊遺跡から出土した遺物や長沢遺跡の集落跡から、縄文時代早期にあたる約1万年前に人間の活動が見られ、縄文時代中期の約5000年から4000年前には大規模な集落を形成し、生活が営まれていたと推定される。11世紀、武蔵七党・西党の小川氏の系図の中に初めて「福生」の名が登場した。室町時代には八王子城主北条氏照の支配下にあり、江戸時代に入ると福生村は天領に、熊川村は天領、旗本領に分かれて統治され、幕末まで続いた。

2009年9月6日日曜日

福生市「米軍ハウス」


ベトナム戦争後(1975年頃)の米軍の縮小で、横田基地の外に建てられた米軍宿舎に空き家が目立つようになり、そこに日本人が住み始めた。平屋建て、当時としては広いフローリングの3LDKで家賃は安く、人気が高かった。

2009年9月5日土曜日

福生市「BIG MAMA」

東京都福生市福生二宮2485-1。
アメリカンテイストのアンティーク雑貨の店。

2009年9月4日金曜日

福生市「April Flash」

東京都福生市福生2364-1。
横田基地第2ゲートと第3ゲートの中ほどにあるアメリカ雑貨の店。

2009年8月29日土曜日

「八王子水再生センター」

東京都八王子市小宮町501。
八王子市・日野市・昭島市・羽村市の一部とあきる野市・日の出町・檜原村の大部分の区域の下水を処理している。計画処理面積は8,632ha。
ステップA2O法(スッテプ流入式嫌気−無酸素−好気法)という東京都で初めて導入された高度処理方式を一部取り入れ、処理された水は多摩川に放流。また、その一部を砂ろ過してセンター内の機械の冷却・洗浄、トイレ用水などに使用。
発生した汚泥はセンター内で焼却、100%資源化し、セメント原料などとして有効利用している。

2009年8月28日金曜日

昭島市「多摩川・牛群地形」

東京都昭島市宮沢町3。
1950年代、砂礫の大量採取により露出した砂層が、川の流れで削られ、牛群地形を成している。この砂層は半凝固でよくしまっていて、上から粘性土優勢層、含化石細砂層、含化石粘土混じり微細砂層、含化石微細砂層、含礫細砂層の微細砂~細砂で構成される。平山砂層といわれ、アキシマクジラやフジツボに似た貝の化石も見つかっている。

2009年8月27日木曜日

日野市「東福寺」

東京都八王子市小宮町1122。
天台宗の寺で天和7年(1621)の創建。江戸時代後期に「観音堂」のあった現在地に移ったとされる。北条氏照の家臣で笛の名人が、氏照から預かった笛を割ってしまったとき、この観音に祈ったところ元通りになり、それ以来「笛継観音(ふえつぎかんのん)」と呼ばれている。

2009年8月26日水曜日

日野市栄町の「神明社」

東京都日野市栄町5-19-13。
祭神は天照大神。創立年代は不明。昭和50年(1975)大改修がされた。
言い伝えでは武蔵七党の中の西党の祖、日奉(ひまつり)宗頼の子孫が神明社の裏山に砦を構えていたといわれ、その一族や子孫が神明社を祀ったという言い伝えがある。
また他の説によれば、源頼朝の信任の篤い和田義盛が、執権北条義時に敗れ、その残党がこの地に住み、伊勢神宮を勧請して社を建てたといわれている。現在でも神明社下には和田姓の家が多く見られる。

2009年8月25日火曜日

日野市「東光寺薬師堂」

東京都日野市栄町5-5-1。
武蔵七党の中の西党の祖といわれる日奉宗頼、その孫の西大夫宗忠が居城の鬼門よけのために建立したもの。日奉氏没落の後、天正8年(1580)に再建されたと伝えられている。
「安産薬師」として古くから信仰されている。

2009年8月24日月曜日

岩魚

2009年8月23日日曜日

府中市「西府町湧水」

東京都府中市西府町1-43。
府中の崖線(がいせん)、通称「ハケ」から湧き出る貴重な湧水で、「東京の名湧水57選」のひとつ。

2009年8月22日土曜日

府中市「下河原線広場公園」

東京都府中市寿町3-3。
明治43年(1910)、東京砂利鉄道が多摩川の砂利の採取運搬を目的に、国分寺から下河原(府中市南町3丁目)まで貨物専用鉄道を開通させた。大正9年(1920)に国有の貨物線となり下河原線と改称、のちに東京競馬場の開設により旅客業務も行うようになったという。その後、昭和48年(1973)の武蔵野線開通にともない旅客が廃止になり、昭和51年(1967)には貨物線も廃止され、66年にわたる歴史の幕を閉じた。
この鉄道跡地を自転車・歩行者道、花と緑の緑道として府中市が整備した。

2009年8月21日金曜日

府中市「武蔵府中熊野神社古墳」

東京都府中市西府町2丁目9番地。
この古墳は国内最大、最古の上円下方墳(じょうえんかほうふん)で、1段目が約32メートルの方形(ほうけい)、2段目が約24mの方形(ほうけい)、3段目が直径約16mの円形の3段で築成されている。高さは復元高で約6m。
平成15年の調査で上円下方墳(じょうえんかほうふん)と確認され、平成17年7月14日に国の史跡に指定された。

2009年8月20日木曜日

府中市「分倍河原古戦場跡の碑」

東京都府中市分梅町2-59。
新田義貞と北条泰家が鎌倉幕府の存亡をかけての戦いで、元弘3年(1333)5月15日、新田軍は緒戦に敗れ、武蔵国分寺が焼失したが、翌16日多くの加勢を得た「分倍河原の合戦」で、北条軍を破った。
その勢いで新田軍は多摩川を渡り、鎌倉に攻め入って、22日に幕府を滅ぼしたという。

2009年8月19日水曜日

府中市「高安寺」

東京都府中市片町2-4-1。
室町幕府の将軍足利尊氏(1305-1358)が、この地にあった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりとされ、尊氏が改名する前の高氏から名づけられたといわれる。
それ以前の寺は平将門を討ち取った功績で武蔵野守となった藤原秀郷の館跡であったと伝えられている。鎌倉時代末期から南北朝の戦乱の時代には、この寺は崖の上にあったため、しばしば合戦の本陣となった。
現在の本堂は享和3年(1803)、山門は安政(1854)の建立で、鐘楼と観音堂は、東京都選定歴史的建造物に指定されている。

2009年8月18日火曜日

「富士通(株)あきる野テクノロジーセンター」

東京都あきる野市渕上50。
2000年7月に、電子デバイスグループの総合開発センターとして操業を開始。
「自然環境と最先端LSI技術の共存した事業所」を基本コンセプトとしている。

道路を挟んで写真を撮っていると、警備員に事情を尋ねられたりした。

2009年8月17日月曜日

あきる野市「六枚屏風岩」

東京都あきる野市引田1774。
風雨に浸食された崖が、屏風を折ったように見えることから名付けられている。
前を流れる秋川の河原には、バーベキューや釣り、水遊びの人たちが訪れる。

2009年8月16日日曜日

あきる野市「真照寺」

東京都あきる野市引田863。
真言宗豊山派の寺。寛平3年(891)義寛上人により開山。
延文元年(1356)関東公方足利基氏によって再建され、秋川南の日照山から、現在の地「静の郷」に移築された。現在の本堂は延亨3年(1746)に再建され、開山千年を記念して平成の大改修が行われた。山門は市指定有形文化財、薬師堂は都指定有形文化財となっている。
この薬師堂は、穴のあいた自然石と「めの絵馬」を納め祈願すると眼病治癒が叶うといわれ、遠く武州、相州より沢山の人が参詣したという。今でも薬師堂前には沢山の絵馬が納められている。

2009年8月15日土曜日

あきる野市「出雲神社」

東京都あきる野市渕上開戸310。
祭神は大国主神(おおくにぬしのかみ)。昔は出雲大明神といい、維新の際改称した。
東京都の指定天然記念物だった椿は、平成10年の大雪で、根元から2本に分かれていた幹の一方が折れてしまい、その後樹勢が衰え、地元の人の手厚い保護の甲斐なく、平成18年5月枯死した。