2009年9月21日月曜日

甲斐市「泣石」

山梨県甲斐市下今井。
天正十年(1582)3月2日、高遠城が落城の際、武田勝頼一行は完成したばかりの新府韮崎城に 自ら火を放ち、岩殿城に向けて落ちのびて行った。勝頼夫人はこの地で、燃える新府城を振り返り涙を流したという言い伝えがある。

2009年9月20日日曜日

甲斐市「光照寺薬師堂」

山梨県甲斐市岩森1622。
武田信虎により永正七年(1510)、団子新居にあった光照寺は岩森村坊沢に移された。武田氏滅亡の際、織田軍に火をかけられたが薬師堂だけが残り、江戸時代初めに現在地に移された。室町時代後期の豪壮優雅な技法が見られる貴重な建造物で、国の重要文化財に指定されている。

2009年9月19日土曜日

甲斐市「妙善寺」

山梨県甲斐市宇津谷4552。
臨済宗妙心寺派の寺。鎌倉時代末期、元弘三年(1333)頃の開創といわれる。最初の寺名は明らかではない。寺の保護者であった武田家の臣、安倍加賀守勝宝(かつとみ)が、武田勝頼と共に天目山において自害し、その法名を妙善寺殿香山道義大禅定門といったことから、妙善寺に改められたとされる。境内の一部は加賀守の居館跡になっている。

2009年9月18日金曜日

甲斐市民温泉「百楽泉」

山梨県甲斐市宇津谷1715-1。
1990年甲斐市立温泉として創業(現在、山梨交通が指定管理者)。
*泉質 アルカリ性単純泉
*効能 神経痛、筋肉痛、関節痛、慢性消化器病、痔疾疲労回復、健康増進など

2009年9月17日木曜日

梁川町「小松神社」

山梨県大月市梁川町綱之上1342。
平安時代末期に病死した平清盛の長男、平重盛(1138〜1179)は大阪で葬られたが、間もなく平家が壇ノ浦で滅び、大阪は源氏に占領された。そのため文治2年(1186)平貞能が削髪し、摂津から尊骨を運び、原部落の険しい岩山の頂上に改葬した。ここを村人は御在所と呼んだ。文永10年(1273)12月御在所から現在の小松神社の地に尊骨を移した。小松神社建設の際、平重盛公の抗刀一振を平朝臣景家が奉納したという。昔、村内の者がこの刀を盗み出し、鞘と鍔は売り払われたが、刀は小仏峠の茶屋に置き去りになった。現在その刀身が祀られている。下原の大火(100年前)で鳥居が焼け、明治29年に再建された。

2009年9月16日水曜日

甲州市「景徳院」

山梨県甲州市大和町田野389。
天童山景徳院。天正10年(1582)3月11日、織田・徳川軍との激戦の末に敗れた武田一族が滅亡した。この年7月徳川家康は、武田勝頼の死をとむらう菩提寺として、景徳院を建立した。天正十六年(1588)に完成し、七堂迦藍の立派な寺であったが二度の大火で焼失し、当時の建物としては山門を残すのみとなった。

2009年9月15日火曜日

甲州市「やまと天目山温泉」

山梨県甲州市大和町木賊517。
「ふるさと創生一億円事業」をきっかけに掘られた温泉を利用し、平成六年にオープン。
泉温31.9度、ペーハー(PH値)が10.3という高アルカリ性の温泉。
*アルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性低音温泉)
*適応性
 ・神経痛 ・筋肉痛 ・運動麻痺 ・関節のこわばり ・打ち身 ・くじき
 ・慢性消化器病 ・痔疾 ・冷え性 ・病後回復期 ・疲労回復 ・健康増進

2009年9月11日金曜日

上野原市「牛倉神社」

山梨県上野原市上野原1626。
創建年代は不詳だが、風土記「北都留郡誌」、その神社部の項に残されている記述から推測される年代は古い。この風土記は奈良時代初期の和銅6年(713)5月に編纂されている。
食物を司る保食神を主祭神として、須佐之男命、天兒屋根命、武甕槌命、経津主命の五神が祀られている。
9月初旬に行なわれる祭典は郡内の3大祭りのひとつ。

2009年9月10日木曜日

上野原市「上野原美術館」

山梨県上野原市上野原小沢4305。
横山大観、川合玉堂、竹久夢二の作品が常設展示されている。山梨出身の近藤浩一路・望月春江などの洋画や日本画も展示。近代文学者の肉筆原稿と書には、飯田蛇笏のものも含まれる。

2009年9月9日水曜日

福生市「武蔵野台図書館」

東京都福生市武蔵野台1-12-2。
武蔵野台児童館、武蔵野台学童クラブと併設され、3階部分が図書館施設になっている。
児童館は、わが街にも欲しい施設です。
ガラスに映り込んでいるのは、確か、福生地域体育館だと思います。

2009年9月8日火曜日

福生市「横田基地」

日本では64年たっても、米軍は、都市にしっかり巨大基地を確保している。

2009年9月7日月曜日

福生市「福生不動尊」

東京都福生市大字福生2143-1。
福生市は、福生不動尊遺跡から出土した遺物や長沢遺跡の集落跡から、縄文時代早期にあたる約1万年前に人間の活動が見られ、縄文時代中期の約5000年から4000年前には大規模な集落を形成し、生活が営まれていたと推定される。11世紀、武蔵七党・西党の小川氏の系図の中に初めて「福生」の名が登場した。室町時代には八王子城主北条氏照の支配下にあり、江戸時代に入ると福生村は天領に、熊川村は天領、旗本領に分かれて統治され、幕末まで続いた。

2009年9月6日日曜日

福生市「米軍ハウス」


ベトナム戦争後(1975年頃)の米軍の縮小で、横田基地の外に建てられた米軍宿舎に空き家が目立つようになり、そこに日本人が住み始めた。平屋建て、当時としては広いフローリングの3LDKで家賃は安く、人気が高かった。

2009年9月5日土曜日

福生市「BIG MAMA」

東京都福生市福生二宮2485-1。
アメリカンテイストのアンティーク雑貨の店。

2009年9月4日金曜日

福生市「April Flash」

東京都福生市福生2364-1。
横田基地第2ゲートと第3ゲートの中ほどにあるアメリカ雑貨の店。

2009年8月29日土曜日

「八王子水再生センター」

東京都八王子市小宮町501。
八王子市・日野市・昭島市・羽村市の一部とあきる野市・日の出町・檜原村の大部分の区域の下水を処理している。計画処理面積は8,632ha。
ステップA2O法(スッテプ流入式嫌気−無酸素−好気法)という東京都で初めて導入された高度処理方式を一部取り入れ、処理された水は多摩川に放流。また、その一部を砂ろ過してセンター内の機械の冷却・洗浄、トイレ用水などに使用。
発生した汚泥はセンター内で焼却、100%資源化し、セメント原料などとして有効利用している。

2009年8月28日金曜日

昭島市「多摩川・牛群地形」

東京都昭島市宮沢町3。
1950年代、砂礫の大量採取により露出した砂層が、川の流れで削られ、牛群地形を成している。この砂層は半凝固でよくしまっていて、上から粘性土優勢層、含化石細砂層、含化石粘土混じり微細砂層、含化石微細砂層、含礫細砂層の微細砂~細砂で構成される。平山砂層といわれ、アキシマクジラやフジツボに似た貝の化石も見つかっている。

2009年8月27日木曜日

日野市「東福寺」

東京都八王子市小宮町1122。
天台宗の寺で天和7年(1621)の創建。江戸時代後期に「観音堂」のあった現在地に移ったとされる。北条氏照の家臣で笛の名人が、氏照から預かった笛を割ってしまったとき、この観音に祈ったところ元通りになり、それ以来「笛継観音(ふえつぎかんのん)」と呼ばれている。

2009年8月26日水曜日

日野市栄町の「神明社」

東京都日野市栄町5-19-13。
祭神は天照大神。創立年代は不明。昭和50年(1975)大改修がされた。
言い伝えでは武蔵七党の中の西党の祖、日奉(ひまつり)宗頼の子孫が神明社の裏山に砦を構えていたといわれ、その一族や子孫が神明社を祀ったという言い伝えがある。
また他の説によれば、源頼朝の信任の篤い和田義盛が、執権北条義時に敗れ、その残党がこの地に住み、伊勢神宮を勧請して社を建てたといわれている。現在でも神明社下には和田姓の家が多く見られる。

2009年8月25日火曜日

日野市「東光寺薬師堂」

東京都日野市栄町5-5-1。
武蔵七党の中の西党の祖といわれる日奉宗頼、その孫の西大夫宗忠が居城の鬼門よけのために建立したもの。日奉氏没落の後、天正8年(1580)に再建されたと伝えられている。
「安産薬師」として古くから信仰されている。

2009年8月24日月曜日

岩魚

2009年8月23日日曜日

府中市「西府町湧水」

東京都府中市西府町1-43。
府中の崖線(がいせん)、通称「ハケ」から湧き出る貴重な湧水で、「東京の名湧水57選」のひとつ。

2009年8月22日土曜日

府中市「下河原線広場公園」

東京都府中市寿町3-3。
明治43年(1910)、東京砂利鉄道が多摩川の砂利の採取運搬を目的に、国分寺から下河原(府中市南町3丁目)まで貨物専用鉄道を開通させた。大正9年(1920)に国有の貨物線となり下河原線と改称、のちに東京競馬場の開設により旅客業務も行うようになったという。その後、昭和48年(1973)の武蔵野線開通にともない旅客が廃止になり、昭和51年(1967)には貨物線も廃止され、66年にわたる歴史の幕を閉じた。
この鉄道跡地を自転車・歩行者道、花と緑の緑道として府中市が整備した。

2009年8月21日金曜日

府中市「武蔵府中熊野神社古墳」

東京都府中市西府町2丁目9番地。
この古墳は国内最大、最古の上円下方墳(じょうえんかほうふん)で、1段目が約32メートルの方形(ほうけい)、2段目が約24mの方形(ほうけい)、3段目が直径約16mの円形の3段で築成されている。高さは復元高で約6m。
平成15年の調査で上円下方墳(じょうえんかほうふん)と確認され、平成17年7月14日に国の史跡に指定された。

2009年8月20日木曜日

府中市「分倍河原古戦場跡の碑」

東京都府中市分梅町2-59。
新田義貞と北条泰家が鎌倉幕府の存亡をかけての戦いで、元弘3年(1333)5月15日、新田軍は緒戦に敗れ、武蔵国分寺が焼失したが、翌16日多くの加勢を得た「分倍河原の合戦」で、北条軍を破った。
その勢いで新田軍は多摩川を渡り、鎌倉に攻め入って、22日に幕府を滅ぼしたという。

2009年8月19日水曜日

府中市「高安寺」

東京都府中市片町2-4-1。
室町幕府の将軍足利尊氏(1305-1358)が、この地にあった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりとされ、尊氏が改名する前の高氏から名づけられたといわれる。
それ以前の寺は平将門を討ち取った功績で武蔵野守となった藤原秀郷の館跡であったと伝えられている。鎌倉時代末期から南北朝の戦乱の時代には、この寺は崖の上にあったため、しばしば合戦の本陣となった。
現在の本堂は享和3年(1803)、山門は安政(1854)の建立で、鐘楼と観音堂は、東京都選定歴史的建造物に指定されている。

2009年8月18日火曜日

「富士通(株)あきる野テクノロジーセンター」

東京都あきる野市渕上50。
2000年7月に、電子デバイスグループの総合開発センターとして操業を開始。
「自然環境と最先端LSI技術の共存した事業所」を基本コンセプトとしている。

道路を挟んで写真を撮っていると、警備員に事情を尋ねられたりした。

2009年8月17日月曜日

あきる野市「六枚屏風岩」

東京都あきる野市引田1774。
風雨に浸食された崖が、屏風を折ったように見えることから名付けられている。
前を流れる秋川の河原には、バーベキューや釣り、水遊びの人たちが訪れる。

2009年8月16日日曜日

あきる野市「真照寺」

東京都あきる野市引田863。
真言宗豊山派の寺。寛平3年(891)義寛上人により開山。
延文元年(1356)関東公方足利基氏によって再建され、秋川南の日照山から、現在の地「静の郷」に移築された。現在の本堂は延亨3年(1746)に再建され、開山千年を記念して平成の大改修が行われた。山門は市指定有形文化財、薬師堂は都指定有形文化財となっている。
この薬師堂は、穴のあいた自然石と「めの絵馬」を納め祈願すると眼病治癒が叶うといわれ、遠く武州、相州より沢山の人が参詣したという。今でも薬師堂前には沢山の絵馬が納められている。

2009年8月15日土曜日

あきる野市「出雲神社」

東京都あきる野市渕上開戸310。
祭神は大国主神(おおくにぬしのかみ)。昔は出雲大明神といい、維新の際改称した。
東京都の指定天然記念物だった椿は、平成10年の大雪で、根元から2本に分かれていた幹の一方が折れてしまい、その後樹勢が衰え、地元の人の手厚い保護の甲斐なく、平成18年5月枯死した。

2009年8月14日金曜日

日野市「実践女子大学(大坂上キャンパス)」

東京都日野市大坂上4-1-1。
明治32年(1899)近代女子教育の先駆者であった下田歌子によって創立された。
創立110周年を迎えた実践女子学園は、「品格」「高雅」にして「自立」「自営」しうる女性の育成を建学の精神とする。

2009年8月13日木曜日

日野市「七ツ塚古墳群」

東京都日野市新町5-21 他。
横穴式石室を伴う古墳時代後期のもので、小さな円墳が狭い範囲に集中している。付近には旧石器時代、縄紋時代早期〜後期、弥生時代終末〜古墳時代初頭、奈良〜平安時代にかけての集落の存在が推測される。
鳥居が立つ土盛りの脇の西へ続く道は、江戸以前、北条氏の居城があった滝山への道だったと考えられている。

2009年8月12日水曜日

日野市「日枝神社」

東京都日野市川辺堀之内594。
延命寺の境内に隣接して日枝神社がある。
祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)。
徳川時代のはじめに川辺堀之内村設置にあたり、名主が村の安泰を願って京都の比叡山麓の日吉大神を勧請奉仕して社を建立したのだと伝えられている。
明治時代の神仏分離令までは、敷地を隣にする延命寺が別当を務めていた。
社殿の背後にそびえるムクの木は樹齢300年以上と推定される。樹高25m、目通り幹囲4.5m、市の天然記念物に指定されている。

2009年8月11日火曜日

日野市「延命寺」

東京都日野市川辺堀之内595。
有王山地蔵院延命寺。真言宗智山派の寺。開基は不明だが、南北朝時代とも、また新田義貞の鎌倉攻めで落武者の内藤一族が帰農し戦死者や先祖を弔うため堂宇を建立したとも伝えられている。本尊は運慶作の延命地蔵菩薩。本尊は秘仏として厨子内に安置されているが、住僧一代一度の開扉がしきたりで、俗に枕返し地蔵と呼ばれていた。本堂の前に保存されている板碑には文明2年(1470)の銘があり、市の史跡に指定されている。日野七福神の寿老尊がある。

2009年8月10日月曜日

日野市「黒川清流公園」

東京都日野市東豊田3-16-1。
黒川段丘崖の豊富な湧き水を利用した小川と、雑木林の散策路を整備した公園。夏の暑い時期には、水遊びをする子どもの姿がたえない。市街地とは思えないほど自然が残されている。

2009年8月9日日曜日

昭島市「多摩川ふれあい水族館」

東京都昭島市宮沢町3-15-1 多摩川上流水再生センター内。
水再生センターで浄化した下水の処理水を使い、多摩川流域に生息している淡水魚を飼育。イワナも泳いでいる。

2009年8月8日土曜日

立川市「立川公園」

東京都立川市柴崎町4、6丁目、錦町5、6丁目他。
柴崎町、錦町にまたがる広域の総合公園。
根川緑道(1.3km)を軸に、柴崎体育館や野球場、陸上競技場などのスポーツ施設が点在している。緑道の水辺の散策や、夏には水遊びが楽しめる。園内の一角に2000m2の広さをもつ花菖蒲園があり、6月には50種あまりの花が咲きそろう。

2009年8月7日金曜日

「東芝府中事業所」

東京都府中市東芝町1番地。
東芝グループの生産拠点のひとつ。産業機器、オフィス機器、鉄道車両、放送、通信機器などの研究開発や製造工場として機能している。敷地内のエレベータ試験塔は、府中市のランドマークタワーとなっている。また、敷地内のラグビー場は、東芝ブレイブルーパスの練習グラウンドだ。

2009年8月6日木曜日

「都立府中の森公園」

東京都府中市浅間町1、緑町2。
日本軍の基地を接収した米軍の基地跡地利用方針に基き、公園用地として平成3年に整備された。
武蔵野の緑に包まれたファミリースポーツ広場として、ジョギングコース、野球、テニス、サッカーなどの運動施設が充実している。子ども用遊具、傾斜を利用した多目的広場、水遊び場が、「森」「丘」「水」としてコンパクトにまとめられている。また、著名作家による彫刻作品が園内に配置されている。

2009年8月5日水曜日

「彫刻のまち府中」

府中市は「水と緑と彫刻と」をテーマに、潤いと安らぎのある都市空間の創造をめざし、「彫刻のあるまちづくり」事業によって17の作品が市内各所に設置された。

「彫刻のあるまちづくり」って、一時の流行だったんでしょうか?バブルの頃の。

2009年8月4日火曜日

「府中インテリジェントパーク」

東京都府中市日鋼町。
日本製鋼所工場の跡地を21世紀のモデル都市づくりを目指し、先進的な街づくりの考え方を取り入れて整備された再開発地区。さまざまな企業の電算センターや研修センターなど、インテリジェントビルが建ち並ぶ。

2009年8月3日月曜日

稲城市「大丸城跡」

東京都稲城市向陽台6-20。
大丸城跡は多摩ニュータウンの造成工事に先立ち、昭和55年から61年にかけて三次の発掘調査が行われ、縄文時代から江戸時代にかけての大規模な複合遺跡であることが判明した。さらに中世の城郭跡と武蔵国分寺や国府とも関係の深い奈良時代の瓦窯跡が発見され、貴重な成果が得られた。多摩センターにある東京都埋蔵文化財センターで、発掘された出土品と城跡の復元模型を見ることができる。

2009年8月2日日曜日

八王子「栃谷戸公園」

東京都八王子市みなみ野5-29。
八王子ニュータウンのみなみ野北部の傾斜地を利用して、段々畑など里山の風景を再現した公園。田植えなどの体験学習が行われている。「静かの森」「清水の池」「みんなの広場」「芝生の広場」など、異なった雰囲気を楽しむことができる。展望台から眺める富士山は「関東の富士見百景」にも選定されている。

2009年8月1日土曜日

八王子「片倉城趾公園」

東京都八王子市片倉町2475。
築城は鎌倉幕府初期の重臣、大江広元を祖にもつ長井氏によって室町時代に行われたという説があるが不明。城主も城が放棄された時期もはっきりとはわかっていないが、空堀・土塁等の名残があり、15世紀後半の中世城郭の典型的な形態を示している。現在は公園として整備され、水車小屋や、長崎の「平和祈念像」の作者・北村西望の作品など17基の彫刻が設置されている。

2009年7月31日金曜日

八王子「白山神社」

東京都八王子市中山806。
境内には仏教の経典を埋めた経塚がある。経塚から出土した資料は、郷土資料館に展示されているが、なかには平安時代(794〜1185)後期、仁平4年(1154)の年号が書かれた写経奥書がある。

2009年7月30日木曜日

八王子「大塚山公園」

東京都八王子市鑓水450-1。
大塚山は標高213m。八王子「絹の道」の中間点に位置し、道了堂の跡地がこの公園になっている。道了堂(曹洞宗・大塚山)は、明治8年(1875)に八王子と鑓水(やりみず)の豪商によって建てられた永泉寺の別院。

2009年7月29日水曜日

八王子「長沼公園」

東京都八王子市長沼町。
多摩丘陵の北斜面にひろがる約30haの広大な公園。深い雑木林におおわれ、高低差が100mにも及び、自然な山道が楽しめる。

2009年7月28日火曜日

八王子「北野天満社」

東京都八王子市北野町550-1。
祭神は菅原道真公。創建年代は不詳。武蔵七党のひとつ横山党の一族が、京都の北野天満宮から御分霊を勧請したもので、寛文4年(1664)龍華山大義寺(八王子市元横山町)の真上法印が社殿を再建したという。
江戸時代、天正19年から萬延元年まで270年間朱印領5石を寄せられ、毎年一月、徳川将軍家へ武運長久の祈祷札を献上していた。

2009年7月27日月曜日

八王子「南浅川の鯉のぼり」

東京都八王子市長房町506-2
毎年5月3日から5日に行われる「長房ふれあい端午まつり」で、「南浅川河畔へ天高く泳げ鯉のぼり」をスローガンに、南浅川をはさんで千匹の鯉のぼりが泳ぐ。